こんにちは、イチです。
今年もいよいよ年の瀬。
もうすぐ大晦日ですね
ということで、1年間の振り返りをしよう! と思い立ちました。
今回は1年間で読んだ本についてまとめていこうかなと。
一覧にしますが、かなりの量になるのでご紹介するのはいくつかの書籍にします。
もちろん他にも読んだ本があるんですが、記録に残ってないので記載はしていません。
大体1~2週間で一冊読んでいたペースです
なお感想は独断と偏見によって書かれていることをご承知ください。
皆さんの好きな本が、気に入らない言葉で書かれているかも…
そして全体で5冊に絞るので、「なんでこれが紹介されてないの?」と思うかも知れませんがお許しください。
ちなみに今回紹介させていただく本は、【X(旧Twitter)】でフォロワーさん等がご紹介されていたものが多いです。
貴重な書籍の情報を知ることができる、本当にありがたいツールです!
Contents
書籍一覧
林業関係
大橋慶三郎(2012)「山の見方 木の見方」全国林業改良普及協会
清和研二(2022)「スギと広葉樹の混交林」農文協
浜田久美子(2017)「スイス林業と日本の森林」築地出版
速水亨(2007)「美しい森をつくる」J-FIC
速水亨(2012)「日本林業を立て直す」日本経済新聞出版社
八田洋章(1998)「木の見方、楽しみ方」朝日選書
田中敦夫(2019)「絶望の林業」新泉社
萩大陸(2009)「国産材はなぜ売れなかったのか」J-FIC
山下洋監修(2007)「森里海連環学」京都大学学術出版社
里山・自然
農文協編(2023)「小さいエネルギーで暮らすコツ」農文協
木下斉(2018)「凡人のための地域再生入門」ダイヤモンド社
篠原信(2022)「そのとき、日本は何人養える?」家の光協会
山本暁子(2022)「初めてでも大丈夫 狩猟入門」扶桑社
熊谷さとし(2012)「哺乳類のフィールドサイン」文一総合出版
渡辺尚志(2022)「百姓たちの水資源戦争」草思社
渡辺尚志(2017)「百姓たちの山争い裁判」草思社
齋藤雅典(2020)「菌根の世界」築地書館
高田宏臣(2020)「土中環境」建築資料研究社
ペーター・ヴォールレーベン著 長谷川圭訳(2018)「樹木たちの知られざる生活」早川書房
丸山宗利(2022)「昆虫学者、奇跡の図鑑をつくる」幻冬舎新書
前野ウルド光太郎(2017)「バッタを倒しにアフリカへ」光文社新書
藤井一至(2018)「土 地球最後のナゾ」光文社新書
文学等
ヘミングウェイ(1952)「老人と海」新潮文庫 ※高見浩訳。2020
夏目漱石(1950)「草枕」新潮文庫
サイモン・シン著 青木薫訳(2006)「フェルマーの最終定理」新潮文庫
遠藤周作(1981)「沈黙」新潮文庫
芥川龍之介(1922)「藪の中」※読んだのは2009年講談社文庫
三浦しをん(2015)「舟を編む」光文社文庫
石井光太(2022)「ルポ 誰が国語力を殺すのか」文藝春秋
ミヒャエル・エンデ著 大島かおり訳(1976)「モモ」岩波書店
養老孟司(2003)「バカの壁」新潮新書
紹介していく書籍
浜田久美子(2017)スイス林業と日本の森林 築地出版
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スイス林業及びスイスのフォレスターについて焦点を当てながら書かれた一冊。
スイスのフォレスター制度や教育システムについてはこの書籍に詳しい説明を譲るとして…
「こんなことができるのか…?」と思いながら読み進めました
日本の林業の価値観として、
①環境重視か経済重視かという二項対立的な視点で語られる
②適切な林業経営が行われれば自ずと公益的機能が期待できると思われている
という部分を指摘されているのは、実に的を射ているなと思いました。
スイス林業が目指すのは、針広混交林です。
「針葉樹」と「広葉樹」が混ざって生えている状態ですね
そして収穫=管理になっている状態がさらに望ましい。
いわゆるなすび伐りと言われる施業方法です。
三重県HP(https://www.pref.mie.lg.jp/SHINRIN/HP/mori/12183014970.htm)参照。
つまり、利用時期に達した針葉樹、もしくは広葉樹をその都度伐採し、売却する。
経済的なメリットと、一気に森林を破壊しない環境的なメリットを目指す林業です。
これを日本で主張すると「どっちつかず」「絵に描いた餅」「現実を知らない」「絵空事」と言われるのがオチですが…。
造林に携わる人間として、正直難しいなとは思います。
補助金を活用するのも難しくなりますしね。
だいたい、広葉樹で生産性を上げるのが難しいんですよ。
ぐねぐね曲がって伸びますし、そもそも切るのも大変だし、運び出すのも難しい。
大きく成長した木を切り出した跡地に苗木を植えたり天然更新を期待したりするわけですが、周囲の木が日陰になりやすいですし。
ただスイス林業は、こうした「現在」の採算性を否定します。
どれだけ「将来」に利益を上げられるのかを重んじるということです。
ここでいう利益は金銭的・公益的機能の両面です
言われてみれば、日本の林業は近視眼的であるとは思います。
長期的なプランが希薄だなと。
今利益を上げられるか、今高く売れるのか、その点が重視されているような気は、しますよね。
まぁ当然なんですけど。
スイス林業で大切な部分だなと感じたのが、「その山を観察する」という姿勢。
日本で言えば「適地適木」という表現がふさわしいでしょうか。
日本だとありとあらゆる山にスギ・ヒノキが植えられてますが、「いやこれ無理やろ」という山も多々あります。
その山にとってどんな樹種、森林の姿が望ましいのかを追求し、それを多様な利益に結びつけようとするのがスイス林業です。
日本においても篤志家の林業家さんたちは取り組まれていますが、一つの姿として魅力的だなとは思います。
萩大陸(2009)国産材はなぜ売れなかったのか J-FIC
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日本の林業の歴史を振り返りつつ、なぜ国産材が売れなかったのかを明らかにしていくのが本書。
章立てを紹介すると
第1章 外材輸入前夜
・常態化していた「歩切れ」など
第2章 外材があぶり出した問題
・小丸太がとび抜けて高かった理由など
第3章 役物依存の時代
・メーカー銘柄「東濃檜」の登場など
第4章 外材時代と国産材業界の変貌
・最大の国産材市場圏・東海など
第5章 需要低迷と淘汰の時代
・木材需要が伸び悩みから低迷へなど
第6章 集成材の時代
・材価下落の構造など
第7章 板の時代
・住宅メーカーの国産材シフトなど
第8章 来るべき時代
・市場ルールが後押しする集成材標準化など
というもの。
まさに国産材がどんな歴史を持つのかを振り返ったものです。
現在様々な国産材不振の理由が語られていますが、これを読むのが一番分かりやすいなと思いました
歩切れが常態化してるのなんか信じられませんよね。
歩留まり150%って意味が分かりません。
丸太を四角い柱にするためには丸い部分を落とす必要がありますよね。
例えば丸太の体積が100㎤だとした場合、丸い部分を落とすので80㎤や70㎤の体積になってしまいます。
…それが普通では?
しかしかつては、100㎤の丸太を150㎤の柱として売っているような状況があったようなんです。
本書の記述を引用しますね。
例えば、断面の一辺が10.5㎝あるべき柱(10.5㎝角)が10.0㎝しかないのは、寸法が0.5㎝足りないのだから、その分”空気”を売っているということになる(本書P25)
本書では「空気売り」と呼ばれています。
柱の一辺よりも細い丸太を送り付け、それで正規の値段を取っていたんですね。
柱を売る会社を立ち上げようと思った人が、「柱を売るのは儲からんぞ」と反対される始末。
つまり柱よりも細い丸太を売りつけないとダメだ、という主張ですね
いやそりゃ国産材も売れなくなりますよ…と思わざるを得ません。
データに基づき、歴史を分析しながら記述された本書。
重要な視点をもたらしてくれると思います。
丸山宗利(2022)昆虫学者、奇跡の図鑑を作る 幻冬舎新書
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こちらは読みやすい新書。
皆さんは昆虫図鑑は何を使っていますか?
持っていない人も多数おられると思いますが…
良く知らない方のために説明させていただくと、図鑑を出している大手の会社は3つあります。
小学館は「NEO」、講談社は「MOVE」、学研は「LIVE」。
もちろん微妙に違いがあるんですが、本書の著者が作成に携わったのは学研のLIVE。
最高の昆虫図鑑を作るというのが筆者の目標であり、そのためにどんな工夫、苦労があったのかをまとめたのが本書です。
具体的にイメージすればお分かりいただけますが、昆虫はその多くが卵→幼虫→さなぎ→成虫へと変態します。
でも図鑑に載るのは成虫だけ。
ということは撮影期間が1年だったとしても、実際に撮影可能な期間は1週間しかない、なんて成虫もいるわけです。
しかも全国にいるわけですから、到底著者一人でなんとかなるものではありません。
限られた時間の中で、SNSを使用しながら協力者を集っていく著者。
もちろん素晴らしい写真を撮れるよう技術を漏らさず伝えていきます。
命題は、全ての昆虫を生きた状態で、それもバックを白にした写真を撮ること。
分かりやすいものなら良いですが、う〇ちに集まるものもいますよね
そういった昆虫を撮影するために、う〇ちをタッパーに入れて…いや、これ以上はやめておきましょう。
特にすごいのがある種類のカゲロウを撮影するエピソード。
カゲロウは成虫の前に「亜成虫」と呼ばれる段階を経るのですが、あるカゲロウは空中で亜成虫から成虫に脱皮し、そして交尾後すぐに死んでしまうというのです。
つまり成虫になってから着地しないんですね
そんなカゲロウもばっちり写真に収めているわけです。
ヤバいでしょう?(語彙力)
そんな風なエピソードが多く書かれているので、そりゃ図鑑も買いたくなるというものです。
これ ↓ です。
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買ってしまいました…笑
図鑑製作に携わる方々の努力の片鱗を、血の通ったエピソードとともに感じることができる一冊です。
前野ウルド光太郎(2017)バッタを倒しにアフリカへ 光文社新書
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見るからにヤバそうおもしろそうな人が表紙の新書。
著者である前田ウルド光太郎さんは、バッタの研究者。
バッタを研究しすぎてバッタアレルギーになった人物です。
研究しているバッタはサバクトビバッタと呼ばれる種類で、聖書にも記載があるんですよ。
「もしもあなたが私の民を去らせることを拒むのなら、私は明日、あなたの領土にバッタを送り込む。バッタが地の面を覆い、地面を見ることができなくなる。そしてそれは、雹(ひょう)を免れて残されていたものを食い尽くし、野に生えているあなたがたの木をすべて食い尽くす。」(旧約聖書:出エジプト記10:4-5)
成虫になると1日に100㎞を移動することができ、地上にある植物を食らいつくす「蝗害(こうがい)」をもたらします。
アフリカではバッタは災害なんですね
直近だと2020年に被害がありました。
エチオピア、ケニア、ソマリアなどの東アフリカでサバクトビバッタが大量発生し食糧不足が懸念されている。ソマリア政府は「国家の食糧安全保障にとって大きな脅威」として、国家非常事態を宣言した。
2018年にサイクロン・メクヌがアラビア半島のルブアルハリ砂漠に大雨を降らしたことが原因となった。蝗害は2019年6月に始まり2020年になるまで続いた。しかし5月から10月にかけてバッタの群れは個体数、地理的範囲とも安定的に減少し、2020年11月の時点では主にアフリカ大陸東部やイエメンで見られる程度になった。(一部改変)
引用はWikipediaの項目「サバクトビバッタ」
今のところ最大の対策は殺虫剤による殺処分。
国内を車で走り回り、前兆となる幼虫の群れを見つけては殺処分を繰り返します。
しかし国土の面積に対して処理する人間が足りていないそう。
だいたい秋田県の大きさを一人が警備するイメージ。
だから、車でうろうろして殺処分なんてやり方だと根本的な対策にならないんですよ。
だからこそ、その災害をもたらすバッタの研究を進めるため、単身モーリタニアに飛び立った一人の研究者の物語です。
そこで行われる研究がおもしろい…というよりは、現地の方々との絡み、お金の問題が魅力的(?)です
名もなき研究者ですから、潤沢に研究費用があるわけではない。
でもそのなかでバッタの研究に邁進する…。
といえばかっこいいですが、大人の事情があったりするわけですよ。
それも含めて一読の価値があります。
なにより、目標に向かって全力で取り組む人間の美しさ、かっこよさ、たくましさ、ハングリー精神が本書にはあります。
ここまで貫けるのはシンプルにかっこいいです。
自分の生き方、人との付き合い方まで考えるきっかけになりました
サイモン・シン著 青木薫訳(2006)フェルマーの最終定理 新潮文庫
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こちらは少しテイストが違うかも知れませんが…。
皆さんはフェルマーの最終定理をご存じでしょうか。
そのためにはまず「三平方の定理」を確認しておくと良いかなと思います。
ピタゴラスの定理ともいいますね
直角三角形について、底辺をa、高さをb、斜辺をc、としたとき、以下の式が成り立つ。
c² = a² + b²
図だとこんな感じ。
画像引用 https://juken-mikata.net/how-to/mathematics/the-pythagorean-theorem.html
具体例としては
5² = 3² + 4²
25 = 9 + 16
みたいなことです。
懐かしいですね、中学校で勉強するそうですよ
フェルマーはフランスの裁判官であり、数学者でもありました。
そんな彼は少しいじわるで、ノートに数式だけ書いてその証明を書かないということが多々あったんです。
そして、その未証明の数式を数学者に送り付けて
「証明できる? え? 俺はできるけど?」みたいにからかってたんですね。
シンプルに性格が悪い
フェルマーの死後、ノートに残された多くの数式が証明されていったんですが、最後まで証明されない数式がありました。
それがフェルマーの最終定理です。
その数式は、
aⁿ = bⁿ + cⁿ のとき、nが3以上の自然数では成り立たない
というもの。
nが2の場合、それは三平方の定理(ピタゴラスの定理)ですよね。
数字を2から3以上にするという単純な操作で数式が成り立たなくなってしまうんです。
この数式の近くの余白に、フェルマーはこう書きました。
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない(本当は証明できるけど書きませ~ん)。
と。
シンプルに性格が悪い
本書は、「悪魔でも証明不可能」と言われた問いに挑む数学者たちの死闘が綴られています。
肝心な疑問として「その定理は証明されたの?」というものがあると思います。
結局そのフェルマーの最終定理は、フェルマーの死後330年経った1995年に証明されました。
最新の数学理論が必要だったため、今では「フェルマーが証明を間違っていた説」が濃厚になっています。
興味深いのは、この「数論」という分野は汎用性に乏しく、現実的に使用できる場面は極めて少ないんです。
その有用でない問題に人生をかけて取り組む数学者たち…。
ロマンですよね
私は文系人間で数学は苦手だったんですが、それでもおもしろく読み進められました。
まとめ
以上、2023年に読んだ本をまとめました。
やっぱり読書はおもしろいなと思います。
普通に生きてるだけでは知らない知識を得ることができますし、他の人の人生を追体験している感覚になれます。
それにしてもX(旧Twitter)は非常にありがたい存在です。
こうした本は、自分自身が調べるだけでは難しい部分があるので。
誰かが紹介していた、というだけで読むきっかけになりますよね。
もしよければ、2024年の読書で参考にしてみてください
最後までお読みいただきありがとうございました!
来年はこれほど読書はできないだろうなぁと思いつつ…